腎がんなんて俺の人生に何の関係もないと思っていた

平成30年に腎がん(腎臓がん・腎細胞癌)が発覚してから、僕の治療と生活と仕事の記録

免疫療法での治療開始


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東京女子医大東医療センターでセカンドオピニオンを受け、再発に関する治療はそちらで受けることに決めた。

7月5日金曜日、セカンドオピニオンの結果を持って、さいたま市立病院へ向かう。E先生に転院したい旨を告げると、快く了承してくれ、同時に転院に向けて紹介状や今までのデータなどを手配してもらった。

最初の手術から、E先生には本当にお世話になった。おそらく僕よりだいぶ年下、まだ三十代ではないかと思うが、良い先生である。改めてお礼を告げ、診察室を後にした。

このタイミングで、子供たち、それから母親にも再発のことを話した。治療や転院も決まって自分の中では整理できていたから。なるべく自分が落ち着いて話せる状態になってから、ということだ。子供たちはまあ、驚いてはいたけれど、親が「大丈夫だ」というモードで話せば本人たちも大丈夫のようだ。それよりも母親に知らせる時が、一番気が気が重かったな。

それからこの時期、仕事で4月に続いて再び異動があった。今回は昇任も伴っていて、多摩地区の事業所へ管理職として赴任。僕の体調のことは(おそらく)考慮されているのだろう、業務内容としては比較的軽めのポスト…だが、いかんせん自宅から遠い。ドアツードアで1時間45分ほどの通勤時間である。20年以上前に社会人となってから、最も遠い通勤かもしれない。ただ救いは、都心を通らないせいで比較的電車が空いている。一番長く乗る武蔵野線で、朝でも途中で座れることが多いし、帰りは始発なので必ず座れる。今までの新宿勤務と比べると遠いが空いているので、まあ良しとしよう。

職場では、上司・同僚・人事関係など、病気が最初に発覚した時からずっと良くしてもらっていると思う。役所なので、休暇などの制度面ではそれなりに充実していて助かっているが、実際の人間関係というか、「人」の面でも理解・協力を得ることができている。今回の僕の病気に関して、仕事絡みで嫌な思いをしたというのは今まで一切なく、良い人々に巡り会っているんだなと、ただただ感謝しかない。直属の上司、直属でないが関係の何人もの管理職や幹部、同僚、部下、後輩などなど…そうは見えなかったかもしれないが、涙が出そうになることも何度もあった。

前回のブログで、セカンドオピニオンを受けた後、田端の駅で妻とお茶した話を書いた。再発判明してからここまで、自宅であまり話し合ったりできなかったこともあり、同じように仕事帰りに何度か妻と待ち合わせ、今後のことを話したりした。最近は妻と二人、喫茶店でお喋りするというのもなかなか機会がないので、まあ話すネタがイマイチだけれど、それはそれで良かったなと今にして思う。

さて、さいたま市立病院で転院のための書類等を受け取り、明けて7月8日の月曜日、改めて東京女子医大東医療センターへ。造影剤を使ったCT検査や血液検査などひと通りの検査をもう一度行った上でK先生の診察を受け、免疫療法開始の日程を決める。初回は7月17日の水曜日となった。

検査に関しては前回さいたま市立病院での結果と同じで、左腎臓摘出後の組織に再発あり。他の臓器への転移は認められず。

なおこの日は、造影剤を使用してCTを撮ったのだが、これだと写りが全然違って、素人が見てもはっきり腫瘍だと確認できた。参考のため、最後に晒して本稿を終わりにする。

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CT画像は左右逆に写っており、左側の黄色い矢印で指しているのが右の腎臓。その反対側、ここには元々左腎臓があり、それを全摘出したので今は何もないはず。だが、そこに赤線で囲んだ再発した腫瘍ができている。大小二つあって、それぞれ8センチと2センチほどの大きさ。以前は左の腎臓があった場所を、そのまま腫瘍で埋めている感じに見える。これを今後の薬物治療で小さくしていく、ということだ。