腎がんなんて俺の人生に何の関係もないと思っていた

平成30年に腎がん(腎臓がん・腎細胞癌)が発覚してから、僕の治療と生活と仕事の記録

三日間で病院決め〜①心の準備編

医師から「腎臓がんの強い疑い」を告げられた後、妻とともに自宅に戻り、これからどうするか考えた。

たぶん、時間的には昼食を食べたのだろう。どこかで食べて帰ったのか、何か買って帰ったのか、全く覚えてはいないが、食べながら、とにかくまずは病気について調べて、治療してもらう病院を探し、決めることだ。そのために、N院長が早く教えてくれたのだから。明日からの三日間を有効に使わなければ。

僕たちにとっての大きなもう一つの懸念は、子供たちのこと。彼らにいつ、どのように伝えるか。すでに書いたとおり、我が家はオープンな家族である。隠し事をするなんてこれっぽっちも考えたことはない。僕の病気について子供たちがきちんと知ることで、それは子供たちにとって大きな成長の糧となるはずなのだ。だから、僕はきちんと自分の言葉で娘と息子に話をしようと、はじめから決めていた。

問題なのはそのタイミングだ。話すといっても徒に不安を煽るようなことはしたくない。僕の腎臓に「がん」があることはほぼ間違いないとしても、どんな状態なのか、どんな治療が必要なのか、そもそも治るのか?俺は死ぬのか?死なないのか?まだ全然わからない。こんな状況では、子供たちに話せない。だから、妻と相談して、まずは三日間で病院を決め、受診しよう。そこでいろいろなことがはっきりしたら、子供たちに僕から説明する。そうすることにした。

それから、母親と職場へ連絡した。母親にはこれまでの経緯は話してあった。実は僕の母は15年近く前にステージ2の乳がんを患っているが、治療は成功して、現在まで10年以上再発もない。ただ僕の身内ではがんになった人間は母以外にいなかったものだから、あまり想定できていなかったのかもしれない。久々に泣かれた。これがなかなかきつい。

職場にも連絡。あれだけバタバタと不穏に出ていったので、悪い結果はある程度想定していただろう。上司は落ち着いて聞いてくれたと記憶している。

さて、ここからの三連休で、調べ、そして決めなければならない。僕と妻二人で。これが想像以上に、精神的にハードな三日間であった。

最終的なゴールは受診する病院決めである。そのためにはまず「腎臓のがん」について、知識を得なければならない。そうしてネットに目を通すと、それは様々な情報が得られる、いや、もはや目に飛び込んでくるわけだ。腎臓がんについて、病院やがんセンターなどのサイト、個人の闘病ブログ、手術数や事例、病院ランキング、論文、がんの種類や治療法にステージ、再発に転移、生存率とか予後とか、そりゃもう何でもいろいろだ。だけど一方で、そのとき、僕はまだ自分の腎臓がんが具体的にどんな状況なのかを知らない。手にしているのは「とりあえずがんに罹っているらしい」という事実だけ。この状況がなかなかどうして、きつい。自分の状況がわからないものだから、ネガティブシンキングの嵐である。病院候補を考える前に、心が折れる。再開し、病院候補を考える途中で、また心が折れる。この繰り返し。そしてそれを、三連休、家族全員が勢揃いの中でこなさなければならないという…苦行であった。

調べてわかったこと、そしてどこの病院に決めたかについては、また次回。