腎がんなんて俺の人生に何の関係もないと思っていた

平成30年に腎がん(腎臓がん・腎細胞癌)が発覚してから、僕の治療と生活と仕事の記録

専門病院での受診と、ほぼ確定診断

三日間かけて腎がんを診てもらう病院を決め、三連休明けの11月26日月曜日、朝一番でN内科へ向かう。紹介先としてさいたま市立病院のM医師と告げ、紹介状の作成をお願いする。同時にN内科を通じて予約してもらい、11時に外来受診となる。

自宅からN内科は車で5分程度、さいたま市立病院は逆方向に10分程度である。途中で妻と合流し、紹介状やCT画像の入ったCD-ROMなどを携え、さいたま市立病院へ向かった。

受付を済ませ泌尿器科の前で待つ。通常の外来にねじ込んでもらっているので、待ち時間は仕方ない。しばらくして呼ばれ、診察室へ。

泌尿器科部長のM先生は、少しワイルドな風貌の、おそらく僕より少し年上、50代前半と言ったところか。優しく気さくそうな方だ。持参したCT画像と所見を見ながら、

「うん、腎がんですね。大きさから、7センチ…8センチ、そのくらいなので、ステージ2というところかな。手術です。部分摘出か、全摘か…いずれにせよ、手術すれば大丈夫ですよ。」

…とてもあっさりと、比較的軽い口調で言った。文章では伝わりづらいのだが、M先生、すごくさっぱりした言い方である。正直、M先生の言葉を聞いた瞬間に、木曜日に告知を受けてその後三連休ずっとあったもやもやと嫌な気持ち、すぐにダークサイドに落ちそうになる僕のメンタルが、一気に晴れた。たぶん妻も同じ気持ちのはずだ(実際あとから聞いたらそうだったと言っていた)。

もちろん、持参した画像だけでは詳しい診断を出すには足りない。患部(腎臓)だけでなく、他臓器、骨、脳などへの転移を調べるため、この後に体全体のCT検査を行うことになった。前回、メディカルスキャニング大宮では造影剤なしのCTであったが、今回は小さな転移等も調べるため、造影剤を使用したCT検査となる。

なお、この少し前に、僕はひどい咳が出ていたことがあって、ステロイド系の吸入薬を飲んでいた。どうやら喘息持ちだと造影剤を使ったCT検査ができないらしい。その場合MRI検査か、造影剤なしのCTとなるのだが、できるだけ正確な診断をするには造影剤CTが必須とのこと。M先生も少し迷っていたが、僕は喘息というわけではなかったので、造影剤の使用可能という判断に至った。

CT検査を終えて結果が出るまで待った後、再度M先生の診察室へ呼ばれ、話を聞く。

「肺などの他臓器、骨、脳など見ましたが、転移は見られません。左の腎臓のみ、大きさからステージⅡとなります。」

ホッ。

「腎がんの場合、転移がなければ手術して切除という選択肢になります。部分摘出でも行けそうだが、大きさがあるので全摘か。それはちょっと検討します。腹腔鏡下手術か通常の開腹、どちらかの方法ですが、腹腔鏡なら7日程度、開腹だとプラス2日ほどの入院になる。開腹の方が体への負担が大きいので、少し時間がかかる。腹腔鏡下手術は、小さな穴を何箇所か開けて行うので、切る範囲が小さく、体への負担も少ない。開腹だと10〜12センチ程度切ることになる。手術は僕ではなくて他の医師が担当することになると思う。」

なるほど。腹腔鏡下手術の方が楽そうでいいなあ。

患者説明用の冊子を僕らに見せながら、

「腎がんでは、一般的な抗がん剤放射線治療は、あまり効かないのでしません。まずは手術です。再発や転移した時には、薬物療法となります。分子標的薬という薬を使いますが、これは何種類かある。最新の方法だと免疫チェックポイント阻害剤というものもある。サイトカイン療法というのは、ちょっと古いのでもうやらない。今はどんどん最新の治療法ができていて、この冊子も、すでに少し情報が古いね。」

そうなんだ。日進月歩ですなあ。

「たぶん12月中に手術できるんじゃないかな。確認が必要だけど。そうすれば年内には退院できるかな。」

えっ?そんな早いの?

「いま、担当医師を予約してしまうのでもう一度来てください。そこで細かい手術日程を決めましょう。」

三日後、11月29日の午後に再び来院することになった。うん、それならその間に職場とも相談できるし、その上で手術日程を決められる。

なお、本稿タイトルで「ほぼ確」としているのは、腎がんの場合は手術前に生検(病理検査)をしないから。がん種によっては針生検といって針を刺して組織を採取、詳しく調べる場合があるが、腎がんの場合はがん細胞が血中に入るなど転移につながる恐れもあるため、基本的にこれをせず、画像診断だけで手術を判断する。ただし、手術の後には、切除した部分について病理検査を行って、最終的な病期や腎がんの種類を確定する。

 

気持ちが楽になった上、次に向けて進み始めたことから、昨日、いや今朝ここに来るまでとは全く異なる気持ちで、帰途に着いた。

 

その夜、リビングで子供たちを呼び、僕の病院について話した。娘も息子も、かなりドキドキしているのは、ローテーブルを囲む時の表情を見ればわかる。

ひと通り状況説明。前にも書いたとおり、いろいろなことを子供たちにきちんと説明して理解を求める、というのが僕の、そして妻のスタンス。教育方針といってもいい。子供だからといって手を抜かない。そうしていると、自然と彼らも自分の意見を持つようになるし、言うようになる。もちろん今回も同じようにした。いつもどおりどんどん派生して、単に僕の病状だけではなく、腎臓の働き、がんとは何か、ステージ、治療法、その他…さながらパパによる授業のように(笑)。

子供たちはきちんと理解してくれていたと思う。さすがだな、と思ったのは、

「パパがちょっとヤバい状況なのはわかってたよ。だってずっと体調とか検査のことを話してくれていて、N内科に呼び出されてどうしよう、とか言ってたのに、その後ぜんぜん話さなくなったじゃない?休みの間もその話しないし。」

「どう考えてもおかしいと思ったよ。かと言って聞けないしね。」

と、高校1年の娘。鋭い。そう、この子はすごく鋭いのだ。いろんなことに対して、観察力・洞察力があるというか。

中学2年の息子の方も、何かおかしいとは思っていたようだ。

あとは、手術は大変だけどすれば治ること。パパもまだ死ぬつもりは全然ないし、君たちが大きくなるまで死なないこと。もちろん簡単な病気ではなく、手術だって大変だけど、パパは頑張ること。ママにもいろいろな負担がかかり大変だから、できるところは君たちの協力が必要なこと。そんなことを話した気がする。